2011年09月14日
「あの人の手紙」
以前にもこのブログでお話した様に、私は「おばあちゃん子」でしたる(^^;
彼女は戦争中に被爆し、それまで活発だった生活が一変してしまった過去を持っていましたる。
しかし、心臓の悪かった幼い私を不自由で痛みのあるその腕に優しく包んでくれて夜行列車で大阪の名医といわれる医師の所まで連れていってくれた、そんな彼女でした。
そして、いつも明るく元気に振舞い、成長した私にも周りにいるヤンキーどもにも大人気だったでするよ(^^)
あまりに態度が悪く素行が悪過ぎる私に、母は厳しい空手でも修行させれば、きっと大人しくなるだろうと考え、嫌がる私を無理やり道場まで引っ張っていったんでするが、それが裏目に出る事も祖母が予言していたでする(笑)
成長してからは、元々腕っ節が強かった私は「空手の技術だけ習得し、精神修行はかやの外」状態でしたる(^^;
学生服をボロボロにし、オデコから血を流して帰宅する私や周囲のヤンキー達に「男の子は、このぐらい元気がないとね!」と、いつもかばってくれていましたる(^^)
もちろん、私の知らない所で私が怪我をさせた相手の家に祖母が謝罪に回っていた事など、ずっと後に知ったのでするが(--;
そんな祖母が一度だけ本気で私に怒ったことがありまする。
それは「爆走ツーリングクラブ(笑)の集会」の後の朝帰りの事でする。
ツーリングクラブと言えば、もちろんユニフォームは「特攻服」だったのでするが(爆)
そんな姿の私を見て、祖母は「なんて格好をしてるんだ。その姿はね、その姿はね、遊び半分な気持ちで着る服じゃないんだよ!」と言いながら被爆からくる少し不自由で痛みのある、その小さな手で私を何度も何度もたたいたのでする。
おそらく、叩いた彼女の手の方が痛かったことでしょう。
その日、祖母は私に学校を休ませて、戦争に関する多くの事を教えてくれました。
当時の私より少し年上だけの多くの青年達が悲惨な最期を迎えたこと。
多くの日本人が死んだこと。
そして、おそらくは多くのアメリカ兵も死んだであろうこと。
祖母は最後にこう言いました。
「でもね、ピカドン(原爆の事)を落とした米兵やアメリカ人を恨んじゃいけないよ。
恨むなら、戦争と言う行為その物を恨むんだよ」
「日本もアメリカもその戦争と言う愚かな行為に加担したのだから、敵国の人を恨んじゃいけない。
戦争を恨むんだよ」
そんな彼女は、あの関西大震災で大きなダメージを受け、それでも懸命に震災で受けた後遺症と闘いながら、その人生を穏やかに、静かに、爽やかに幕引きしていったのです。
彼女の人生の最後の一日前、そんな時でも、どんなに辛く苦しく痛みがある時でも、私の顔を見ると、おどけて、笑って、歌って。。。。
祖母の最後は本当に彼女らしい、まるで風が吹いて、どこかに飛んでいくような最後でした。
本日の1曲は、そんな彼女が話してくれた戦争の話の中に出てきた「ある青年と少女の悲恋」が映し出されているPVです。
歌は、かぐや姫の「あの人の手紙」でする。
彼女は戦争中に被爆し、それまで活発だった生活が一変してしまった過去を持っていましたる。
しかし、心臓の悪かった幼い私を不自由で痛みのあるその腕に優しく包んでくれて夜行列車で大阪の名医といわれる医師の所まで連れていってくれた、そんな彼女でした。
そして、いつも明るく元気に振舞い、成長した私にも周りにいるヤンキーどもにも大人気だったでするよ(^^)
あまりに態度が悪く素行が悪過ぎる私に、母は厳しい空手でも修行させれば、きっと大人しくなるだろうと考え、嫌がる私を無理やり道場まで引っ張っていったんでするが、それが裏目に出る事も祖母が予言していたでする(笑)
成長してからは、元々腕っ節が強かった私は「空手の技術だけ習得し、精神修行はかやの外」状態でしたる(^^;
学生服をボロボロにし、オデコから血を流して帰宅する私や周囲のヤンキー達に「男の子は、このぐらい元気がないとね!」と、いつもかばってくれていましたる(^^)
もちろん、私の知らない所で私が怪我をさせた相手の家に祖母が謝罪に回っていた事など、ずっと後に知ったのでするが(--;
そんな祖母が一度だけ本気で私に怒ったことがありまする。
それは「爆走ツーリングクラブ(笑)の集会」の後の朝帰りの事でする。
ツーリングクラブと言えば、もちろんユニフォームは「特攻服」だったのでするが(爆)
そんな姿の私を見て、祖母は「なんて格好をしてるんだ。その姿はね、その姿はね、遊び半分な気持ちで着る服じゃないんだよ!」と言いながら被爆からくる少し不自由で痛みのある、その小さな手で私を何度も何度もたたいたのでする。
おそらく、叩いた彼女の手の方が痛かったことでしょう。
その日、祖母は私に学校を休ませて、戦争に関する多くの事を教えてくれました。
当時の私より少し年上だけの多くの青年達が悲惨な最期を迎えたこと。
多くの日本人が死んだこと。
そして、おそらくは多くのアメリカ兵も死んだであろうこと。
祖母は最後にこう言いました。
「でもね、ピカドン(原爆の事)を落とした米兵やアメリカ人を恨んじゃいけないよ。
恨むなら、戦争と言う行為その物を恨むんだよ」
「日本もアメリカもその戦争と言う愚かな行為に加担したのだから、敵国の人を恨んじゃいけない。
戦争を恨むんだよ」
そんな彼女は、あの関西大震災で大きなダメージを受け、それでも懸命に震災で受けた後遺症と闘いながら、その人生を穏やかに、静かに、爽やかに幕引きしていったのです。
彼女の人生の最後の一日前、そんな時でも、どんなに辛く苦しく痛みがある時でも、私の顔を見ると、おどけて、笑って、歌って。。。。
祖母の最後は本当に彼女らしい、まるで風が吹いて、どこかに飛んでいくような最後でした。
本日の1曲は、そんな彼女が話してくれた戦争の話の中に出てきた「ある青年と少女の悲恋」が映し出されているPVです。
歌は、かぐや姫の「あの人の手紙」でする。
鳥モモ肉のカリカリ焼きと、コックオーヴァンっす
枝型ランタンポール改造(^-^)/
ローストチキン、フレンチ流っす(^^)
ブッフブルギニョンっす(^^)
プーレオヴィネグルっす(^^)
暇なので、ランプ見ながらビール飲んでます(^-^)/
枝型ランタンポール改造(^-^)/
ローストチキン、フレンチ流っす(^^)
ブッフブルギニョンっす(^^)
プーレオヴィネグルっす(^^)
暇なので、ランプ見ながらビール飲んでます(^-^)/
Posted by slowlife at 20:59